私は高校時代に不登校になり、強制的に入院させらえました。でもsこで見かけたのは懲罰的な電機ショック。私もその後には「インシュリンショック治療」を受けました。解放病棟に移った後父の「宣誓書」を見てショックでした。要約は「いかなることになろうとも一切苦言、裁判にはかけない」というものでした。私はその後高校を3回変わりましたが、私の病気を治したのは医者でも両親でも兄弟でもなかった。
3年の担任が侠客まがいの先生で「誰が反対しようとも、1枚だけ卒業見込を書いてやるから「入れるところに入れ」という言葉でした。それは職員会議は大荒れだったでしょう。でもその1枚の書類を反対を押し切って書いていただいたことで、私の6年もの高校生活は終わり、元気になりました。登校拒否は病気ではなかったのです。今考えるとあの時の治療法は疑問です。すでにこれに対する論文が出ていて。1950年代には廃止に向かっていたのですが、日本ではそれが最盛期であって誰も反対する医師はいなかったからです。植物人間になったり、死亡した患者はその後しりました。 |
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