いのたま
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(7)★エル・ヴィータ・デ・パス 〜自立へのあせり〜 後編2001/06/30

薬でだるさが出たが、10代の頃、薬物療法の効果を実感していたから、きっちり服薬した。今度は効果が出るのは早く、1カ月ほどで焦げつくほどのイライラは消えた。デパスは0.5mg×3に減った。バイトを辞め、もう一度就職活動を始めた。

通院を始めて1カ月半経った1988年11月、わたしは25歳の誕生日を迎えた。自殺未遂を繰り返した10代の頃は、25歳の自分が思い描けなかった。生き延びて四半世紀か、と思った。でも、何とか食べられるだけでも幸せではないか、自分を不幸だと思い込んでいたけど、意外と悪くないよ……。その時、胸のあたりから何かが抜ける感じがした。

その翌月、情報サービス会社への再就職が決まった。日本中がバブルで浮かれていた頃で、再就職先は、裏で地上げや総会屋と絡んでいた。だが、希望の職種だったから、気にならなかった。このチャンスを逃がしたら、次はないと考えてしがみついた。がむしゃらに働き、収入が上がる。給与明細が自立と回復の印に思えた。

もう一つの印は、薬を自分で調節して良いと言われたことだった。初診から半年近く経ち、デパスを朝・夕・就寝前に服用していた頃だった。最初は、「朝は抜いてもいい、昼間は不安を感じた時に」、間もなく、夕食後も抜いてもいいと言われ、就寝前だけになった。次の段階は「眠れそうな時はのまなくていい」だった。

その年の夏、勤め先が新事業を始めた。一気に忙しくなって、時には会社に泊まり込んだ。疲れてすんなり眠れるようになり、就寝前のデパスをほとんどのまなくなった。通院する時間もない、薬なしでも今は眠れる、と医者に話した。
「そう。じゃあ、調子が悪くなったら、また来なさいよ。いつでも良いから」

再受診することはなかった。それから何年かして、このS医師が他界したからだ。一度、「エリートの先生には、わたしの気持ちはわからない」と噛み付いたことがある。母と同世代のS医師は、顔を真っ赤にして怒った。
「わたしの年で女が医者をやるのがどういうことか知ってるの。わたしは男女雇用機会均等法の時代に25歳のあなたが羨ましいわよ!」

(了)


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