いのたま
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(6)★エル・ヴィータ・デ・パス 〜自立へのあせり〜 前編2001/06/17

わたしは大学に2年遅れで入学した。奨学金を取り、バイトをしながらの大学生活は、貧しかったが楽しかった。相変わらず情緒不安定だったが、在学中は通院していない。その代わり、学生相談室にはだいぶ世話になった。ある時、「病院に行ったほうがいいんですか?」と訊ねると、
「眠れないとか、気分が落ち込んでどうしようもないとか、そういうことはあります?」
「薬をのんだほうがいい感じがするということですか?」
「あ……薬をのまれたことあります?」
わたしは通院歴を簡単に話した。すると、相談員は、
「お薬が必要だな、と感じた段階で行っても遅くないと思いますけど」
結局、通院を勧められることはなく、一度も行かなかった。

2度目の通院は、大学を卒業した年、24歳の時だった。わたしは就職に失敗している。生活費を稼ぐために、社保完備のアルバイトを見つけて働き始めた。だが、「バイトさん」と呼ばれる日々は苦痛だった。高校を出て、大学に行き、卒業する、世間では普通でも、わたしには苦しい数年間だった。金銭的にもつらかった。他の子が遊んでいる時にバイトして、ようやく卒業にこぎ着いたのに。就職先だって、高望みしなかった。普通のOLになれれば満足だった。

まるで、社会に入る入口で蹴られた感じがした。病気で2年遅れたせいだろうか。回復しても、2年の遅れは一生つきまとうのだろうか。いつも神経が苛々と焦げついていた。朝まで眠れなくて、一睡もしないでバイト先に行った日もあった。そんな日は、座っていることすらつらかった。屋上に行って、泣きながら煙草を吸った。食欲が落ちて、貧血がひどくなり、社内で倒れたこともある。

限界だった。自分が壊れる寸前になっていることが、ありありとわかる。大学卒業から半年後、近所のSクリニックに駆け込んだ。すでに親元を出ていたから、前のように問題行動の連続はできっこない。その前に防がなければいけない、と思った。

今度の医者は、母と同年代のS医師だった。「どうしました?」の問いかけに、私は、
「仕事のことでいろいろあって、自分が壊れそうな感じがするから来ました」
と、答えた。すると、S医師は、にっこり微笑んだ。
「そう。その段階で来てくれて助かったわ。みんな壊れてから来るのよ。あなたは、すぐ良くなる」
安心したと同時に自信を持った。以前と違い、私は自分でメンタル・ケアができるのだ、と。

ここでは、抗不安薬デパスが処方された。デパスの認可は1984年、最初の通院の頃は、まだ認可が下りていなかったので、この時が初めてだった。最初は0.5mg×3。数日後に再診、体質的には問題ないということで、1mg×3に増えた。眠剤は、はっきり覚えていないが、確かユーロジンだった。

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