いのたま
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コラム(6)
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第6回★トラウマ・バナナ2003/01/04

白人の見方・考え方をするアジア人を「バナナ」という。見た目は黄色いが、中身は白い、時に白人以上に白人的な考え方に偏ることすらある“脳内白人”です。よく「日本人はバナナ」だと言われるが、トラウマやPTSDに関してはバナナ極まってると思う。

PTSDの概念は、ベトナム戦争の帰還兵の心的外傷が引き起こした症状がベースになっている(それ以前は「戦争神経症」「シェル・ショック」と呼ばれていた)。PTSDがDSM(米国精神医学会の診断基準)に登場するのは1980年代。当時は映画『ディアハンター』が話題になって、アメリカのベトナム帰還兵の心の問題が取り沙汰された。その中で、私は憤りを覚えた。

アメリカ人には家族や友人の問題として切実だが、日本人なら、ベトナム人の心の傷についても考えるのが“普通の感性”ではないのか? アメリカの何十倍の数のベトナム人がトラウマやPTSDを抱えているとは思わないのだろうか? アメリカ人のPTSDは認められ、ずっと被害が大きかったベトナム人のPTSDは認められないのか?

途上国のトラウマは、相変わらず軽視されている。20年前に高校生の女の子が感じた疑問は、今も変わってない。2002年8月、横浜で開催されたWPA(世界精神会議)大会にともない、PTSDとトラウマの市民講座があった。チラシの告知文は「アメリカの同時多発テロで…」で始まった。ああ、まただ。空爆を受けたアフガニスタンの民間人には、トラウマもPTSDもないとでも言いたいのか。ここはアメリカじゃないよ、日本だよ。アメリカから輸入した概念で物事を考えて、脳内白人になってしまう日本人の悪い癖が丸出し。

それに、日本には特有のトラウマが存在する。欧米で脱施設化が進んだ1960年代、日本の精神医療は過酷な収容主義の時代だった。看護者からの暴力、処罰としての電気ショック、退院できる患者を5年10年も長期入院させたり、とんでもない人権侵害がまかり通っていた。精神の病で入院することは、人権を失うことだった。昔話と考えてはいけない。宇都宮病院事件の頃、20歳だった患者は、まだ30代なのだ。

精神医療が引き起こしたトラウマは、今だに存在する。精神科特例で、医師やスタッフの数は、他科より少なくて良いとされているから、病棟内でのトラブルに対処するのが難しい。しかも、非自発的入院で受けた心の傷は、一部の有識者の間だけで語られ、トラウマ本には出てこない。一部の患者会のやや過激な発言や行動は、私の目には精神医療トラウマによるものに見えるが…。

医療による心の傷は、時として治療中断につながる。私は年に何度も、治療中断している方からメールが来るが、全員が「病院が怖い」「医者が怖い」と言う。治療中断者は、時々意外な場面に現われる。相談機関に電話したり、シンポジウムに行ったり。私はこうした行動をSOSサインと見ているが、厚生労働省は、この事実を公式には認めていない。心的外傷といえば、災害時のアウトリーチに予算がつく程度。医原性のトラウマは隠ぺいされたまま沈澱していく。

日本では、家族のトラウマも深刻である。精神科救急が著しく遅れているから、急性期の病状が生む感情の渦に家族も巻き込まれる。しかも、保護者制度が残っている。入院が必要だが本人が治療を拒む時は、家族の誰かが保護者になり、同意するシステム。医療保護入院に同意した家族は「自分が入院させた」と罪悪感に悩まされる仕組になっている。

私自身、激躁状態だった身内を医療保護入院させて、フラッシュバックに悩まされた。電車の中でぼんやりしている時や寝入りばなに、保護室で拘束帯をつけられて眠る身内の姿が突然蘇った。「ああ、あれは私がやったことなんだ」と思ったものだった。寝入りばなに来た日は、明け方まで眠れなかった。

「トラウマ・バナナ」は私の造語。私は患者で家族という立場から、精神医療や精神保健福祉について書く。医者や援助職の見方を一方的に取り入れるのはバナナだろう。自分が「トラウマ・バナナ」にならないよう、自戒の意味を兼ねて、あえてこの造語を使う。

(了)


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